2003年5月より毎日新聞『新教育の森』に連載された記事の第29回目をご紹介します。
2004年(平成16年)2月23日(月曜日)
競争することでは学力はつかない
−自分と向き合ってこそ壁越えられる−
「ゆとり教育が学力低下を招いた」を論拠に、「学力向上には競争が必要」という声が聞かれるようになりました。その結果、教育の現場はどんどん競争にさらされ、多くの子どもたちにとって学校はますます居心地の悪い場になっています。競争することを子ども自らが望んでいる場合はいいのでしょうが、望んでもいないのに競争を強いられる子は、学ぶことで苦痛を味わわされ、学びから遠のいていきます。
本当に競争をさせれば学力がつくのでしょうか? 私にはどうしても、競争させることでどの子にも学力がついていくとは思えないのです。子どもを競争させることで、いつも負けてしまう子は自分はダメだと思い込み、本来持っている学習意欲を失ってしまうでしょうし、いつも勝つ子は、それが当たり前になると競争が刺激にならなくなります。そして、最初から競争を降りている子には、競争はほとんど意味がありません。つまり、「どの子にも学力をつけさせたい」と考えるなら、競争させることにほとんど意味がないので
す。
私は24年前に「競争をさせなくても、学力はつく」と考え、その子が学習したいところから、それぞれの個性やペースに合わせて学習するシステムを考案し、それを使った塾をはじめました。そのやり方は、人と競うことも評価を受けることもないため、勝敗に対するストレスや、劣等感や不安を抱えなくてすむせいか、どの子にも自分の可能性を充分発揮させることができるようになり、やる気を起こさせる塾をやっていたときとはケタ違いの学習効果が上がるようになりました。
また一斉に同じことをせず、優劣をつけないことで、子どもと親や先生が一緒に同じ場で学ぶことが可能となり、私の塾では、3歳から83歳までの、職業も立場もさまざまな人たちが一緒に学ぶようになったのです。大人も壁にぶつかりながら学ぶ姿を子どもたちが目の当たりにすることは、理屈を超えて伝わるものがあるようです。
人に勝ったからといって、自分の課題がなくなるわけではなく、人に負けたからといって、ダメな人間なのでもありません。それぞれに自分のできないことに挑戦しているのですから、誰でも必ず壁に突き当たります。人より先の単元をやっていることに価値があるのではなく、自分の壁に突き当たったときに、それをその子なりに越えていくことが大切なのです。学びたいものをあきらめたり投げ出したりせず、繰り返し淡々と学ぶ力や、自分なりの工夫で課題や壁を越えていく力は、競争という外からの刺激とは別の、自分と向き合う世界でこそ育っていくのです。