2003年5月より毎日新聞『新教育の森』に連載された記事の11回目をご紹介します。
2003年(平成15年)8月25日(月曜日)
「任せる」と「任せっぱなし」の違い
−最後まで寄り添って−
「この前、学校に行ったら、担任の先生が『いま、学校では子どもたちの人権を保証していますから、30点以下の子は学校に残れば、わからないところを先生が見てあげるけど、必要がないと思う子は帰ってもいいです。どうするかは子どもたちに任せているんです』と言っていました。この話を聞いてうちの子は『帰っていいんだ』と思って、帰ってきちゃったんです」というお母さんがいました。
おそらく、この先生は、子どもたちに強制的に居残りさせるのではなく、自主的に残ってほしいと思い、このようなやり方をしたのでしょう。しかし、これではただの放任教育です。先生が、どうしても残ってほしいと思っているのであれば、そのように判断できる情報を子どもたちへ渡すはずですし、伝え方が変わってくると思うのです。
そこで、私が先生だったら、どう伝えるかを考えてみました。「これは先生の考えだけど、今日のテストで30点以下だった子はわからないところをもう一度勉強したほうがいいと思うよ。ここがわからないまま先にすすむと困るから、学校に残ってやるなら、先生が勉強を見てあげてもいいけど、どうする? その時間がとれない場合は、自宅でやってきてもいいけど、今日のテストでとった自分の点数を見て、再度その範囲を勉強する必要があるのかないのかの判断を紙に書いて提出してくれる?」とまず聞きます。
つまり、自分の状態をどのように把握しているかを聞いてから「やる」という前提で、いつ、どんな形でどんな場所でやるのか、その部分を子どもたちに任せるのです。やるかやらないかを聞くことではないのです。
このように、子どもの自主性を重んじたいと思っている人は、えてして「子どものしたいように任せる」ため、「任せっぱなし」になってしまいます。そして、本当は「このようにやってほしい」と思っているにもかかわらず、そうなっていかない状況を苦々しく思いつつ、なすすべがなく立ち尽くし、「子どもはいつまでたっても自分から学ぶようになりません」と言うのです。さらに、我慢できない人は指示命令で、子どもたちに毎日のように「勉強しなさい」と声をかけ続けて、言われないと机に向かえない子にしてしまうのです。
このように、「任せる」と「任せっぱなし」は違うのです。「勉強しなさい」と言われなくても、時間がきたら自分からすすんで机に座って勉強する子になってほしいと願うのであれば、なおさら「子どもに任せる」必要があるのです。「何時に座るか」を子どもと相談して決めて、決めた通りに座れない日があっても責めず、決めたことがいつになったらできるようになっていくのか、最後までできていくプロセスに寄り添っていくのが、子どもに本当の意味で「任せる」ことだと思うのです。