2003年5月より毎日新聞『新教育の森』に連載された記事の第9回目をご紹介します。
2003年(平成15年)7月21日(月曜日)
基礎学力とは「チャレンジする力」
−読み書き計算能力とは限らぬ−
学力を他の言葉と結びつけると、基礎学力、学力低下、学カテスト、学力格差、学力向上というような使い方をすると思うのですが、ここで使われている学力とは点数化できる学力のみを指しているように思います。
指示、命令で子どもたちに学習させるのではなく、学ぶものを子どもたちが自分で決める学習のやり方をしてきたことで、「果たして点数で学力のある・なしが判断できるのだろうか?」「学力って何だろう?」という問いが浮かぶようになりました。そこで学力には、点数化できる「見える学力」と点数化できない「見えない学力」があるように思えてきたのです。
なぜこんなことに気がついたかといえば、らくだ教材で学習している子どもたちを見ていると、自分のペースで学習していますから、学習を開始して1年ほどで、8割近くの生徒が、自分の学年より先の学年、すなわち習っていない領域にすすむようになるからです。
そして、学校でまだ習っていない単元に入ると、「こんなの習っていないからできない」と言って、わからないことはやろうともしない子とか、直接プリントをやらずに、プリント以外のところで練習して、最初からできる状態にしてそのプリントに取り組むような子がいて、そのほとんどが学校の成績が結構いい子、つまり学力が高いと言われた子ばかりでした。
しかし、この傾向は子どもだけに限りません。大人にしても、「こんなことをやってみてはどうですか?」と提案しても、「そんなの私はできません」「苦手ですから」と、やりもしないで「できない」と決めて、やらない人がいるのですが、そんな人は学生時代、いい成績をとってきた方に多いことにも気づかされました。
やってみれば、それなりに誰でもできてしまうにもかかわらず、決してやろうとしない人たちです。見たくない自分が出てくるのを怖がっているのか、どんな程度のものができるか、やる前から予想がついてしまうが故に、そのことでどんな自分であるかを判断されるのが嫌なのか、いろいろな理由があると思うのですが、やる前から「自分のできることはこれだけ」と勝手に決めて、新しい世界へなかなか踏み出していこうとしないのです。
できることしかやろうとしないのですから、本当にこの人たちには学ぶ力(=学力)があるのだろうかと思うようになったのです。
基礎学力というと、一般的には読み書き計算能力と思われていますが、それができても、新しいことにはチャレンジしない傾向があるのですから、それは学ぶ力がないと言え
るわけで、そう考えると、新しいことにチャレンジしていこうとする力を基礎学力と言ったほうがいいのではないかと思えてきたのです。 (つづく)