平井雷太のアーカイブ

「子どもと対等」の改革 2003/11/24

2003年5月より毎日新聞『新教育の森』に連載された第19回目の記事をご紹介します。

2003年(平成15年)11月24日(月曜日)

「子どもと対等」の改革
−どならず、手を上げず、教えず−

 当時、3歳だった長男の様子を見ているうち「不登校になるかもしれない」と感じ、いつそうなってもいいように、教えられなくても学べる教材づくりを始めました。教材ができあがり息子がやり始めてからも、息子の様子を見ながら何度も作り替え、教材作りは思いがけず十数年にも及びました。

 その後、塾を開いたのですが、塾では生徒がどんなに多数になろうと、息子とI対Iで向き合ったときと同じように、個別対応をしてきました。「どうして生徒が大勢になっても、個別対応ができるのですか?」と他の塾の指導者に聞かれるたびに、自分でも不思議に思っていたのですが、今朝、散歩をしているときフッと「どならない、手を上げない、教えない」という、自分がされていやなことは息子にもしまいと思って決めた三つのことを思い出しました。

 そして、その瞬間に「そうか! 決して強制で息子を動かすことはしまいと、対等な関係づくりをしてきたけれど、その経験があったので、大勢の生徒と向き合っても、上から指示・命令で生徒を動かしたり、一方的に教え込んだりすることはしなかったのか」と、息子とI対Iで向き合った経験の大きさに気づき、「子どもの状態を相互に確認できる記録表を使って対応してきたけれど、それは子どもと対等でいる場をつくるためでもあったのか。対等な立場から一人一人を見ていくことが、相手が大勢になっても個別対応ができることにつながっていたのか」ということが一気にわかったのです。

 昨今の教育改革では、「少人数制にして、個別対応を」というのが流れですが、教師が、目の前の一人一人の子どもを指示・命令で動かしている限り、対等な関係はできないのですから、いくら少人数クラスにしても、個別対応は成り立ちません。個別対応とは、一人一人の声を聞き、状況を把握し、子どもの思いとこちらの思いの折り合いを付けていくことで、決して、懇切丁寧に子どもの面倒をみたり、管理を行き届かせることではないのです。

 指示・命令・評価の中で教育を受けてきた大人からは「対等では子どもが言うことをきかなくなる」「大人が指示・命令する必要もあるはず」という声が聞こえてきそうですが、そこから脱却し、子どもたちの能力を信じていかない限り、学校でも家庭でも、子どもたちが救われることはないでしょう。

 次回からここに焦点を絞り、いま最も重要と思われる「教育と場づくり」について、くわしくお話ししたいと思います。

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